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二〇〇六年四月より日本列島を流浪しております。 その記録です。 写真はクリックで若干大きくなります。
 
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■8月あたま東京に戻ってきてから、友人宅に居候して、酒を飲んだりうだうだしたりしながら過ごしていた。盆には新潟の生家に帰った。そしてまた赤羽に戻ってきた。旅の中休みということで自分を納得させてはいるがこの停滞感はちょっと心身に毒かもしれない。今後のビジョンをちょっと考えてみた。9月、静岡とかその辺でぷらぷらする。10月くらいに沖縄にわたる。そしてそのあと外国にゆく。その前に少し金を貯める。以上。
■8月9月と、「web across」というサイトで匿名で日記を書くことになりました。そちらの方も併せて、今後とも宜しくお願いします。
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8月2日のこと。

■顔面への蚊の襲撃と闘いながら強引に眠りにつこうとしていると突如近くで若い男女の喚声があがり、薄目を開いて見てみたところ、彼らは2コとなりのベンチのまわりで缶ビールを飲みながら花火をしていた。2時だった。人が寝ている5メートル先で花火をするとは何事か。近くで寝ている男は長旅で非常に疲れているということを分かっての狼藉か。ていうか他にもベンチいっぱいあるでないの。もっと海の近く行くとかさ、色々あるでないの。ていうかおれの存在に気付いてる?おれのこと見えてる?僕のこと、もっとわかってほしい、という切なる願いを内に秘め悶々としていると、今度はおっさんのがなり声が聞こえてきて、はっと目覚めた。複数名のおっさんに周囲を包囲されている。5時だった。次々と新たなおっさんがチャリまたは原チャリでこのベンチに乗り付けてきて、皆タバコに火をつけて一様にがなり出す。いつのまにかおっさんの数は10名ほど(体感)に膨れあがった。おっさんはどこかの工場で大量生産されて次々にこのベンチへと送り込まれているらしかった。眠る男と10人のおっさん。イン、大洗サンビーチのベンチ時刻は朝の5時。ていうかこのベンチなんなんでしょう。他にも空いているベンチは無数にあるというのに皆ここに集まって来よる。おかしいでしょう。人が寝てると言うてるじゃないですか。わざわざそこに集合する必要はないでしょう。もう。だいたいおっさんら朝からテンション高すぎですよ。そんな口角泡を飛ばす勢いでしゃべらなくても先方には十分聞こえてますよ。よろしくおねがいしますよ。限界だ、ということでこのベンチを受け渡す決心を固めた僕は起き上がり、荷物を持って他のベンチへ歩き出した。おっさんの一人、製造番号003番が「兄ちゃんよく眠れたか?」と訊いてきたので僕は「ハイ!よく眠れました!」と快活に答えた。

■別のベンチではよく眠れた。花火もなくおっさんも送り込まれてこない。朝なので蚊もいない。明るいのはアイマスクで対応できる。夜眠れなかった分、10時まで眠る。起きると海水浴客がけっこういた。彼らを尻目に駅へ。電車に乗ってとりあえず水戸までゆく。

■水戸思ったより栄えていた。駅周辺の感じが大宮とか静岡に少し似ていた。こういうところではでかいバックパックを背負っているのは恐縮だが、歩いてみた。腹が減っていたので吉野家に入って豚丼に卵をミクスして食った。実に久しぶりの吉野家だった。吉野家はあいかわらずいい仕事をすると思った。それから河原で荷を降ろし、呆けた。呆然とした。暑かったので汚いタオルで時々顔を拭いた。そうしたら鼻血が出た。タオルはさらに汚くなった。

■水戸からJRにて一気に都内まで。車内では寝たり寝なかったり。夢をみたりみなかったり。アビコとかカシワとかそういう駅を越えていった気がする。都に近づくにつれて車内に人が増えていった。巨大な荷を抱える僕はとても恐縮する。あと少しくさいかもしれないので重ね重ね恐縮する。

■北区赤羽に到達。東京で3年間暮らした場所に到着する。ああなつかしいわ。あの頃はよかったわ。お金があって。お酒もいっぱい飲めて。今宵は友人が2人で暮らす家に泊めてもらうことになっている。暫定的にピエレットとジャクリーンと呼ぶことにする。シャワーを拝借し、ピエレットがちょううまいキーマカリーを作ってくれてそれをがつがつと食った。それからビールを1本ずつ飲んだ。沁む。身に沁む。

8月3日のこと。

■いいね、布団のある生活。プライスレス。いや実際プライスは有るのですが。ここぞとばかりにしかりと寝て10時ころ起きた。家主は仕事で出払っていた。食べていいよ、と言われていた韓国のインスタントラーメンをゆでてみる。ものすごく辛いからテイクケア、との言付けがあった。ちょっとやそっとの辛さではあたしはまいりませんことよ。液体スープを投入したらごっつい赤くなった。真紅。エロいルージュの色をしている。へっ、見た目には惑わされないぞ。食った。3口目くらいまでは大丈夫だった。こんなものか。所詮は。テーハミング。敵国を応援する余裕もあった。しかし4口目くらいから、あ、やっぱ辛い。と思って5口目でダメかもしれない。となった。スープをすすってみたら人智を超えたレベルの代物だった。なんてこった。すげえかれえよ。気を取り直して慎重に麺のみを口に運んでゆく。あーこれならなんとかいけそう。でも。このスタイルではこのラーメンとちゃんと向き合ったことにはならないのではないか。ラーメンとは麺とスープの愛の結晶である、という言葉を聞いたことがある。それが今の私はなんだ。このラーメンに対して完全に及び腰になっている。うわべを撫でている。ラーメンに対して失礼この上ない。思いは巡った。そうして、汗やリンパ液やいろんな液体を出しながら、私は完食した。麺を。残った大量のスープは捨てた。だってこのスープ、赤すぎるから。

■借りたチャリを駆って外へ元気に飛び出した昼。北区赤羽からぐいぐいと南下する。日差しがすごいですね。あとこの、ぬわっとした感じ。東京にも夏が来たのだね。発汗に次ぐ発汗。ギーコギーコとペダルを漕ぎ、都内を疾駆する。脳内に流れるミュージックはイエローモンキーで「スパーク」。君とスパーク。ギーコギーコ。夜はスネーク。ギーコギーコ。堀船というエリアで「ただいま 光化学スモッグ注意報が 出されました 外出や 屋外での活動は きょくりょく お控えください」というアナウンスをきく。とても落ち着いたアナウンスだったので、大事ではないのだな、と安心して、屋外での活動を続けた。日暮里とか浅草とかを通って東京駅の方までゆく。御茶ノ水で保険関係の手続きを致す。これが今日の最大目標だった。完遂した。勢いに乗った僕はそのまま秋葉原まで繰り出し、ポータブル・レディオ(こわれかけ)を買うという好プレーをみせた。だって、野営してるとき、人の声が聞きたいな、って、ずっと思ってたから。これからはこのレディオ(こわれかけ)が淋しさを紛らわせてくれるんだろう。

■北上。東大の前を通ってみる。ははーん。これが噂にきく赤門ですな。たしかに赤いですな。知性あふるるレッド。でも今日は赤いのおなかいっぱいなのですよ。失礼。と言って足早に立ち去った。王子まで来て駅前のスーパーで茶の2リットルボトルを購入、4分の1くらい一気に飲んだ。失われていた体内の水分が補給される。渇ききっていたくちびる、指先、瞳、心などが潤いを取り戻してゆく。一命をとりとめて故郷赤羽にまた戻った。

■今日も寝床がある。音楽を聴きながらそうめんを食いテレビをみながらビールを飲む。
7月31日、8月1日のこと。



■2006年の8月を洋上で迎えた。7月の最終日に苫小牧フェリーターミナルにて乗船し、月をまたいで茨城県大洗に向かっている。いっえーい。海だー。風がちょう気持ちいいぜー。あ、いまトビウオがとんだよ。という風な陽気な語りができる状態では実はなかった。太平洋の穏やかざる波に、船は揺れに揺れた。タテ方向に揺れよった。タテはまずいよタテは。空気読もうよ。夜、船内のシアターで映画をみていた僕は、そのタテ揺れに自分の三半規管が対応できなくなってくると映画どころではなくなり、シアターを出て風にあたりにいった。デッキに人はいなかった。怒涛の猛風。水飛沫。そして夜の海の漆黒。夜の海を漠然と眺めたら1分と経たないうちに僕は恐怖に打ち震えた。立っていられなくなったので座り込んだらジーパンの尻が濡れてしどろもどろになった。でも立っているのは怖いのでそのまま座った。尻は濡れるにまかせておいた。そうしたらちょっと気持ちよくなってきた。
海で船が難破するなどして漂流してしまった人たちの恐怖について考えた。底知れないだろう。巨大な闇の中に独り。ゆらゆらと揺れている。足の下に広がる深遠な海。何がいるかしれない。ニモのファインディングもかなり大変だったときく。全方向に、心身ともに行き場をなくし、何も見えず、聞こえるのは近くの波が立てるちゃぷちゃぷという音だけ、その中でただゆらゆらと揺らされている。絶対にここから落ちてはならないと思った。そうしたらこの風がとても脅威に感じられた。この風の強さはなんだ。この意志をもったような風。私を吹き飛ばそうというのか。殺めようというのか。風のやつ。風のくせに。自然現象のくせに。ちょう怖くなって、あと尻も濡れまくっていることだし、僕は風呂にいった。

■風呂も揺れまくっていて、浴槽は流れる温水プールみたいなことになっていた。揺れながら湯に浸かっていると、となりに、荒川良々に似たおっさんが入ってきた。そのおっさんの胸毛に僕は見惚れた。水に濡れて絡まりあって、それはあまりに雄々しいのだ。あまりに猛々しいのだ。顔は荒川良々なのに。

■良々のおかげで僕の三半規管も自分を取り戻してきた。そこで僕は与えられた2メートル×1メートルのスペースに行き、横になって毛布をかぶった。一部屋に男、というかおっさんが10人詰め込まれている。もちろんどことなくくさい。イ・ビ・キ。ハ・ギ・シ・リ。あと屁。寝ながら放屁をしてはいけない。聞いた人は馬鹿にされた感じがして、言いようのない怒りを覚えるから。

■眠ったのか眠れていないのか、8時ころに起床し、パンやゆで卵を食ったり、良々を探したり、はしゃぐ子供たちに体当たりされたりして愉しく過ごした。朝になるとさほど船酔いはしなかった。乗り物酔いというのは精神に起因するものだとよくきく。ただのビタミン剤を酔い止めだと言って投与された患者はやはり酔わない、という実験を昔テレビでみた。朝になって僕の精神状態は上向いたみたいだ。もしくは自分に勝ったのかもしれなかった。克己。昨晩は酔いというモンスターに脅かされ、やはり自分はどうしても酔うのだ、ダメな三半規管をもっているのだから、こんなタテ揺れされたらどうしたってやられるんだ、という弱気が僕を支配していた。しかしそれは実は自分の内側にあるものとの闘いだった。おれは酔わない、酔うわけがない、酔ったためしがない、と思い込んでいれば、そう、精神が肉体を凌駕すれば酔いはやってこない。精神の役割というのは非常に重要だ。人をとりまく諸問題はだいたい精神的な転換でかたがつく。色恋の悩みも将来への不安も自分の精神の問題に還元すれば、克己すればけっこう解決する。でもそれはやっぱり一時的なことかもしれない。怖い映画をみたり独りで夜の海と向き合ったりしたら、また僕はひどく酔うだろう。そして弱気になるだろう。



■2時に大洗に着いた。期待していた夏の感じは無く、空はぬっぽりとくもっていた。船でずっと揺られてたから地面に降り立ってもしばらく揺れてる感じがする。と人々はよく言ったりするけれども、そんなことあるかー、斯様な妄言にだまされるかー。と思いながら着地、そのまま歩き出した。あ、揺れてる。まだ揺れてるよ。ぐわんぐわんとしているよ。糞。負けるか。ぐわんぐわん。糞。

■とりあえずビーチまで行ってみる。大洗サンビーチは広大だった。砂漠みたいだった。公園を抜けると砂の向こうに海の家が数軒。砂上の楼閣。そのさらに向こうに海。くもっているからか砂漠だからか、活気がない感じがした。それから今度は駅に行ってみる。こぢんまりとした駅舎。観光案内所が死角にあってなかなかみつけられなかった。町の地図をもらう。銭湯はありますか、と訊ねると、この街にはここしかない、と言われ紹介された町営の温泉施設に向かう。5時以降は500円になるというのでねばって待って満を持して5時、入浴いたした。


これがうわさの大洗サンビーチ

■入浴したあと休憩スペースに8時半まで居座る。まもなく閉館です、というアナウンスがあり、おもむろに立ち上がってさっ、と立ち去ろうとしたがバックパックがでかすぎてスマートにいかなかった。コンビニで弁当とビールを買って目星をつけておいた寝床へ向かう。ビーチと公園の境にあるベンチに人は誰もいなかった。よかった。マットを敷いて寝袋にくるまる。モスキートが顔面を襲撃する。


寝床
■旅のはじまりは4月だった。2年がかりで金を貯め、昨年の秋に友人2人とキャンピング・カーを共同購入、2月いっぱいで仕事を辞め、はれて長野より出立いたした。
図らずもエロかっこいい書き出しになってしまった。何事か。なにごとかと自分でも思う。齢25にしてこんな旅に出てしまった。出発前、放浪の旅ってエロかっこいいと思っていた。実際はエロくもなくかっこよくもない。どちらかといえばくさい。男3人の異臭がたちこめる車を駆って、長野から京都、神戸、淡路島経由で四国、瀬戸大橋を渡って岡山、鳥取、そのまま日本海を北上して金沢、新潟、秋田、青森、フェリーで函館、そして北海道をぐるりとまわって7月の半ば、札幌に到達した。そして札幌で僕はキャンピング・カーを降りた。こまかい理由は色々とあるけれども、大きな要因は、違ったスタイルで旅を続けたいと思ったからで、別にケンカとか、そういうことじゃないの。4ヶ月弱、けっこう贅沢な旅をしていた。寝る場所には車があるから困らないし、メシにも金をふんだんに遣った。ふつうに店で酒も飲んだ。にょほほにょほほと移動しながら生きておった。そして、必死に自転車をこいでいる旅人をびゅうと車で追い越したり、苦悶の表情を浮かべながら巨大なバックパックを背負っている若者と居合わせたりしたとき、あーー、と思った。後半はけっこう頻繁に、あーーと思っていた。そして僕の吐息は、あーー、はふぁー、うん、ようし、という展開をみせた。

■北海道に入ってから僕はおもむろに友人に話を切り出し、何回か話し合いがもたれ、そして断が下された。ちょっとした事務的な作業があり、札幌のアウトドアショップで巨大なバックパックを買い荷物を詰め替えた。背負ってみたらちょう重いでやんの。ああ、これから余裕なくなるなあ、と思った。油断したらやられる、と思った。でも油断しなければやられない。
余った荷物は実家に送った。ダンボール一箱とボストンバッグ一つ。チャリはそのまま車に搭載しておいた。僕ともう一人、藤井氏が車を降り、Kelton Boyer氏はそのまま車で駆け巡ることになっていた。Kelton氏と別れ、車から離れると世界はバックパックに凝縮された。奇妙な昂揚感を覚えた。でもてくてくと歩いてたら首肩腰が痛くてそれどころではなくなった。荷物はもっと減らせるだろう。たぶん服持ち過ぎだしスニーカーも別に要らないかも。用心のためクスリもいっぱい入れちゃった。このままじゃムリかもしれない。心折られるかもしれないアルよ。アイヤー。と思いながら札幌を歩いた。バックパックは肩にぐいぐいとくいこむ。

■僕と藤井某は札幌の友人、安倍氏に2泊させてもらった。ここからは温情依存型の旅になってくる。持つべきものは友人、非常に身に沁むる言葉であります。あな有り難し。あな。
そして月曜の朝、安倍氏の宅を出て、藤井某とも離れ、北海道をもう少しぷらぷらしようと思い、いった。青春18きっぷを買い青春18キッパーとなった僕は、糞、このうすらでかいバックパックさえなければなあ、と思いながら電車に乗る。方向を転換するときにしばしば周囲にアタックしてしまい、主人を非常な恐縮に至らしめるこの糞バックパック。でかいよ君。ジャマだよ。でもああ、そういえば僕もこのフレーズでよく罵られている。似たもの同士だね、僕たち。仲良くしようね。ビーマイフレンド。ヒアウィートゥギャザー。

■北海道のカントリーサイド、それからいくつかの島を巡った。歩行に次ぐ歩行。退化していた歩行機能を強引に呼び覚ますウォーキン。長く歩いた末にみるよい景色は格別によい。迫りくる。車で行って見るのとは別の響き方をした。
夜は野営に次ぐ野営。人生の青空教室。マットを敷いて寝袋にくるまる。闇。冷気。風。蚊。騒音。でも思ったよりはいける。愉しい気もする。
でかい荷物を背負って歩いていると、生かされている感じも強くなってくる。そこかしこで、旅してるんですか?と聞かれた。何人かはがんばってと励ましてくれ、別の何人かは自分もそういう旅をした、と語った。また「差し入れ」と言って食べ物をくれる人もいた。それからヒッチハイクにも3回ほど成功した。職人風の兄さん、札幌から出張に来ていた上司&部下、新潟から島に移住してきたヒゲの男性。
ここ数日間で、何度「ありがとうございます」と言ったか知れない。遺憾の意を表明しているヒマもない。生かされ侍になっている。はっは。生かされザムライ。生かされ侍?決闘でやられて地面に倒されて、さあひとおもいに殺してくれ、と言うのに、「無駄な殺生はしない」と恩赦をかけられた侍?そういう類の侍がいたとしたら僕はそういう類の侍であった筈だ。

■とにかくしばらくの間、日本を流浪ながら生きてみます。よろしくお願いします。
 
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